遺構と文献の対比
下地にすべて木材を使用し、後世のように竹を用いていないことは、遺構・記録ともに一致しています。
なおこのことは平川廃寺肚(京都)から出土した焼けた壁土からも明らかとなりました。
奈良時代もしくはそれ以前の建築遺吐から壁土の発見されるのは必ずしも珍らしくないのですが・・・
ここのものは幸いにも荒壁から上塗まで一つの塊として出土し、しかも荒壁側の土に木舞が喰い込んだ形を保っていました。
その喰い込みは竹のように丸味を帯びず、製材されたもののように角ばり、しかも土の面には木目まで明瞭に認めることができ、木舞材が確実に木材であることを示していました。
平川廃寺は文献資料に上ってこない遺趾ですが・・・
発掘調査の結果、法隆寺式伽藍配置を持つことが確かめられており、同時に出土した瓦の文様等からも建立年代が奈良時代を降ることはないとされています。
この例から見ても、当代の木舞材料が木材に統一されていたことが明らかです。
現代でいう外壁リフォームのようなものですね。
・・・しかし法隆寺金堂で木舞を絡めていた藤蔓は記録には全く現われず、すべて針縄に置き換えられています。